chickengirlのブログ

徒然なる日記です。

別れの春

長く社会から離れて生きていたので、春が来ても、桜が咲いたくらいしかなかった。家族と呼ばれる人としか、付き合いがなかったので、変化もない生活だったということなんだろう。

ただ、ただ、子供が成長を遂げる過程があるのみで、春に付き物な、「入学、進級、新年度、別離、出合い」みたいなものを感じずにいた。



しかし、この春は少し違っていた。

子供が習いもので、お友達と別れを経験した。1つのコースが終了したのをきっかけに、お友達はその習いものを卒業したからだ。

事前に知っていた別れでさえも、何故かとても淋しいもので、習いものは、学生の部活のように乗り越える試合や課題は何もない、ただの楽しい音楽のレッスンだったのに、毎週レッスン日にその子を見ない事が、こんなに大きな喪失感に繋がるとは、思いもよらなかった。



話は変わるが、この春、子供は、幼稚園へ入園した。

とはいえ、プレスクールから入れていたので、全く始めての場所ではなく、子供もスムーズに園生活をスタートさせていた。

故に、延長保育を使い、私のバイトを平日にも拡張させることにした。

すると、子供は、お弁当の時間がくると、私を思い出して泣くらしい。

朝、一緒にお弁当の内容を決めたりするので、私の存在がお弁当を通して思い出されてしまうのであろうか?

子供なりに、幼稚園生活と、母との別離の時間に対する思慕が交錯するのであろうなと、理解している。

しかしながら、私は、突然泣き出すほどの我慢をしたことがなく、我が子の心の頑張りを予想はできても、今一つ、ピンときていなかった。



そして、この春、私にも別離がやってきた。

バイト先のコンビニは、人の入れ替わりが激しく、私は週末だけの人員だったので、名前を覚えた頃には、誰かしらいなくなっていた。

私を採用してくれた店長が、採用書類をくれたらすぐ昇格して、後任できた店長が珍しく先輩の店長だった。

この年で、先輩に会えるなんて凄くラッキーな事だったのだと思う。私は心地よく仕事ができた。彼はとても、チャーミングな人で、みんなを虜にした。けれども、彼もまた、この春で異動になってしまった。

そんな事は、よくあることだった。

新しくやって来た店長は28歳。

彼が「いらっしゃいませ」と声だしをする度に、先輩店長のいない事を思い知らされて、私は泣いてしまいそうな衝動に駆り立てられている。

最近、初めて、子供が突然泣き出す心境を理解した。


私も子供も、1つ、社会とのかかわりを持った春になった。

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